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みなぼん
2023.9.15 19:36日々の出来事

いわゆる「キリスト教的価値観」は、本来のキリスト教とは違ったものになっているのでは?

小林よしのりライジング Vol.479「芸能とは何なのか?(後編)」
寄せられた、とても参考になるご意見をご紹介します


〈NAOPPUさん〉
よしりん先生は、以前にライジングの中で、明治時代にキリスト教的
価値観を無批判に受け入れようと邁進したことが日本の堕落の始まりで
あったと確信している、ということを書いておられました。
ジャニーズ問題発生以来、「キリスト教的価値観」と日本的価値観の
相違や、また西洋文化として育まれたそもそもの「キリスト教的価値観」
というものについて、僕は度々考えさせられております。

当初僕は、日本人が「キリスト教的価値観」を歪んだ形で受け入れたために
日本が堕落していったと思っていましたが、そもそも西洋で育まれた
「キリスト教的価値観」自体に問題があるのではないかと思い始めました。
僕はキリスト教信者ですが、ジャニーズ問題で浮き彫りになった、
いわゆる「キリスト教的価値観」は、本来のキリスト教とは違ったものに
なってきていると考えています。

「キリスト教が人を堕落させている」のであれば、キリスト教信者としては
そんなことないですよと言いたくなりますが、現代の「キリスト教的価値観」が
人を堕落させているという側面は、多分にあると思います。
欧米のキャンセルカルチャーが正しいわけでもないでしょう。

ジャニーズ問題で浮かび上がった現代の「キリスト教的価値観」は、
純潔至上主義であり、純潔に反することに対してきわめて不寛容であり、
それがゆえに最も重要な価値観を見失っていると思います。

有名なキリストの言葉がマタイによる福音書に記録されています。

——————————–
そして彼らの中のひとりの律法学者が、イエスをためそうとして質問した、
「先生、律法の中で、どのいましめがいちばん大切なのですか」。
イエスは言いわれた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、
主なるあなたの神を愛せよ』。
これがいちばん大切な、第一のいましめである。
第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣人を愛せよ』。
これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている。」
——————————–

このキリストの言葉から考えると、本来のキリスト教的価値観にとって
一番大切なものは「神への愛であり、人への愛」であるということが
わかります。

一方で、純潔至上主義を盲目的にふりかざし、思考力と冷静さを完全に失い、
検証もしないままひたすらにキャンセルしている現代の「キリスト教的
価値観」が引き起こしている現象を、僕たちは今、目の当たりにしています。

法を超越したナニモノかが物事を動かし、自称被害者に対して莫大な
補償をさせ、一つの大きな文化が破壊されようとしており、大衆がそれを
ひたすら煽っているという現象に疑問も不気味さも一切感じない社会に対し、
僕は心底恐怖を感じます。
法が社会の秩序を作っているはずなのに、その法がいとも簡単に意味を
なさなくなる社会なんて、不気味なことこの上ないです。

キリストの言動が記録されている四福音書には、実は純潔についての教えは
それほどありません。
純潔至上主義は、のちの弟子たち、またはキリストの死後のずーっと後の
教会が作り上げた価値観であると思います。

もちろん、キリスト教信者にとって純潔は重要な戒めであり価値観ですが、
価値観の優先順位を間違えてそれを重要視するあまりに、行き過ぎた
キャンセルカルチャーが生まれてしまったようです。
そこには愛のかけらもなく、それは真のキリスト教的価値観とは
相いれないものです。

本来のキリストの教えとかけ離れた「キリスト教的価値観」が日本だけ
ではなく、欧米の文化にも堕落をもたらしているのかもしれません。

イエス・キリストは当時の社会にとって反逆者でした。
形骸化した当時の律法至上主義に真っ向から対立し、厳格なユダヤ人から
危険人物と目されて処刑された人です。
権威と権力に逆らって、社会的弱者を癒し、罪人を赦したのが真の
キリストの姿です。

キリストは、「健康な人には医者はいらない。いるのは病人である。
わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改め
させるためである。」と言いました。

「キリスト教的価値観」はキリストのこの教えを完全に忘れています!
罪人を招かず、罪人をキャンセルし、さらには罪人でない人までをも
キャンセルして石まで投げつけるありさまです!

「キリスト教的価値観」は、潔癖であろうとするあまり冷静さと客観性を
完全に見失い、愛を注ぐべき対象を見失い、最も大切であるはずの「愛」を
全く実現できていません。
その意味で、キリストの教えからかけ離れた「価値観」であると思います。

今日のよしりん先生のブログで、「愛国者なら、国内の若者を優先する
べきであって、海外の抽象的なイデオロギーを優先するべきではない。」
と書いてありました。



ごーまんかましてよかですか?

だれに対して愛を注ぐべきかをわかっているのは「キリスト教的価値観」の
持ち主ではない!
それは、よしりん先生ではないか!!!

あえて言いますが、社会に反逆し、真の弱者に愛を注ぐよしりん先生に、
おれはキリストの背中を見る思いがしている!!!


〈mantokunさん〉
NAOPPさん、またしても素晴らしい文章を読ませていただいて
ありがとうございました。感動で胸が熱くなりました。

現在吹き荒れているキャンセルカルチャーの嵐を、ついキリスト教
原理主義、キリスト教的価値観と言ってしまいがちですが、本来の
キリストの教えがそのように不寛容で、罪人の排斥や迫害、差別を
誘引するものであるわけがないのですよね。

価値観の優劣をつけられず、いつの間にか作り出された世の中の情勢を
全く検証もすることなく、それどころか無批判に便乗して、多数派が
よってたかって一方的に少数者を吊るし上げ、文化を破壊するこの野蛮な
流れこそキャンセルしなくてはならないと思います。
今のジャニーズ事務所への吊し上げや、ジャニー喜多川の「性加害」と
何の関係もないタレントたちへの迫害が人権擁護や弱者救済に
つながってるなんて、みんな本当に思っているんでしょうか?

それほどジャニー喜多川が許されざる大罪を犯していたなら、なぜ
数十年間もマスコミや大企業は追及も調査もしてこなかったのか。
これまでは全く問題だと思っていなかったからじゃないですか!
単に外圧にビビって手のひらを返しただけ!
ジャニー喜多川が亡くなっていて、振り上げた拳を下ろす先がないから、
代わりに何の罪もない若者たちを散々にリンチしているだけです。
それも、自分たちのこれまでの不作為を外国から責められるのが怖いから。
これほど野蛮で卑怯な振る舞いがあるでしょうか。

今のジャニーズキャンセルの流れは私には単なるいじめにしか見えません。
もしこれでジャニーズのタレントの誰かが自殺でもしたら、誰が責任を
取るんだろう。


先生ぼんは「わしを持ち上げすぎ」と言っていましたが(笑)、
キリスト教信者でもこのように考える方もいるんですよね。
いわゆる現代の「キリスト教的価値観」にどっぷり嵌り、
人権原理主義と化している人々とは違うキリスト教信者の考えを聞けて、
とても勉強になりました。

 

みなぼん

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